ごったましいガイドとゆく高千穂旅行記~1日目~
令和4年10月8日正午定刻通りに南国情緒漂う宮崎空港ロビーに全国各地から集合した整形外科医とその家族は、遅れ気味の到着であらい息と汗を拭きながら駆け付けられた関東組を出迎えて、あと5人が待つ宮崎駅に向けてバスは急ぎ走り出しました。数十分後、工事中かと見違えそうな宮崎名所の「鬼の洗濯岩」をモチーフにした全面格子柵で囲まれた宮崎駅に着くと、最初の厠休憩になりました。
駅の中央はアミュプラザの売り場が大きく占めており、宮崎県における県境の高千穂の位置よろしく、厠は売り場を通り過ぎた端にあるので、着くのに結構な時間がかかりました。それ程大きくない女性用厠はすぐに行列状態になって予定以上の時間がとられました。慌ててしまったのか、自己紹介なしにガイドさんの「宮崎は10月に入って初めて昨日から気温が30度を切って涼しくなりました」と内容とは異なって、少々汗をかきながらの挨拶が始まりました。
この一泊2日の高千穂ツアーには、総勢34人が高千穂神話に惹かれて参加されたのでしょうが、何といっても旅行に欠かせないのは良い天気とバスガイドさんですね。心配していた天気は雲の間から日が差すようになって回復し、バスは曲がりが多い宮崎市街を通り抜け、直線道路に入って揺れがなくなると共に、ガイドさんの自己紹介が始まりました。
宮崎観光の花形であろう、年齢不詳、キュートな声で面白いことを語るのが売りの、我々の前ではマスクを一度も外さなかった美人に違いないガイドさんです。このガイドさんの面白話をなるべく掲載して、バスツアーの思い出を綴っていきたいと思います。
ガイドさんの名は兼行〇央さんで、さっそく姓が「ごったまし」くて、すみませんと耳慣れない挨拶。何を言ったのかなと思い、後で確認すると、宮崎弁で仰仰しい、たくましいということでした。さらに宮崎弁の代表格は、「とても」を「てげ」だと紹介され、「とても美味しい」ことを「てげうめっちゃが~」と言うのだそうです。さらに宮崎弁を全国的に有名にしたのは、2010年の口蹄疫や鳥インフルエンザで宮崎の畜産業が壊滅的な被害を受けたときに、県知事だった東国原氏が発した「宮崎をどげんかせんといかん」というフレーズです。
これは彼の出身の都城訛りが入っており、生粋の宮崎弁では「宮崎をどんげかせんといかん」と言うらしく、当時は結構な物議を生じたそうです。他県の私達にはどっちでも良いような話でしたが、なんと反応して良いのか分らず、「う~ん」と唸り声をあげながら聞いていました。今年の年末予定の宮崎知事選挙で現職の4選を阻むために再出馬するらしく、再度このフレーズを使うことが予想されます。今度は14年ぶりに多くの宮崎県民が「東国原氏をどんげかしようか」と、てげ悩まれることでしょうね。
神武天皇が日向から東征に出発されたという美々津港の近くには、天皇がこの上に立って出航の指揮をとられた腰掛岩があります。出発前に天皇の着衣のほころびに気付かれたけれども、天候の具合で出航時間が早まり、時間が無いなか立ったままで縫われたので、この地を立ち縫いの里と呼ぶようになったそうです。
同じく用意されていた団子の材料の餅とあんこを丸めて団子にする時間がなくて、あんこと米粉をつき混ぜて作って献上されたので、つき入れ団子とかお船出団子と後世に呼ばれるようになりました。今も美々津の美味しいお土産として有名ですと宣伝が入りました。
日向灘を右手に見ながら東九州道を北上していたバスは、古墳が311基もある西都や、最初に口蹄疫が見つかった都野を経て、延岡ジャンクションを通過すると方向を転換して九州中央道に入りました。あたりは棚田が広がる山間の田園風景に変わり、高千穂の釜炒り茶として有名な茶畑も見られる郷愁を覚える日本の代表的原風景になりました。
そこでガイドさんクイズ、「宮崎は早場米、3月に田植えをして7,8月に収穫するのは何故でしょうか」。答えがバスの中で飛び交いましたが、見事正解。「台風が来る前に収穫するため」でしたが、それだけ宮崎は台風銀座ということです。先月9月19日の台風14号(NANMADOLナンマドル)は宮崎を直撃した中でも史上最強クラスの台風で、高千穂も甚大な被害を被っており、行く先々で台風の傷跡が色濃く残っていました。
バスは山間のカーブが険しい道をリズミカルに車体を揺らしながら高千穂三橋を渡っていきます。一つの峡谷に3本の橋が見られるのは全国唯一という、アーチ状の白くて凛々しい橋を上から下から眺め、高千穂峡最初の観光地アララギの里に到着しました。バスを降りて10数分間、旗を高く掲げたガイドさんに引率されて、34人がぞろぞろと歩いていくとV字峡谷が目の前に広がってきました。
太古の時代に阿蘇からの火砕流が冷え固まってできた柱状節理の地形に五ヶ瀬川が侵食してできた見事な峡谷です。先月のナンマドルが荒らしていった遊歩道は一部を除き進入禁止になっており、下までは降れない状況だったので、喜八の力石や眞名井の滝に近づくことは叶いませんでした。その分、距離を保っているせいか大自然の神秘さと清澄な景色を感じました。天孫降臨の際、この地に水がなかったので、天村雲令(アメノムラクモノミコト)が水種を移した「眞名井」から湧き出る水が水源となりました。それが17mの高さから川の水面に落ちる様を、遊歩道滝見台から見る「眞名井の滝」は特別に神秘的な空気を漂わせていました。
柱状節理の峡谷を満喫した私たちは、高千穂郷八十八社の総社である、1900年前に垂仁天皇によって創られた高千穂神社を訪れました。境内には樹齢800年を超える御神木である秩父杉や二つの杉の根元が一つになった夫婦杉を代表とする多くの巨木が本殿を守っていますが、一部は台風によって倒されていました。ガイドさんから夫婦杉の周りを夫婦、恋人、友達と手をつないで3回廻ると夫婦円満、家内安全、子孫繁栄、縁結びのご利益があるとの紹介がありました。
神社を参拝し、本殿の裏にある、世の乱れや人の悩みを沈めるために伊勢神宮と共に設置された鎮石(しずめいし)に手をかざしながら願をかけた後、彼女から勧められた夫婦杉に戻りました。もうすでに何組ものカップルが、すぐ前には3人のご家族が仲良く廻っておられました。私たちも先輩たちに続けと廻り始めましたが、木の根が大きく張り出して足元が悪いところもあり、転倒しては一大事としっかり手を握り合って3回廻り切りました。後続のカップルも後が絶えなく、いつの間にか夫婦杉は我々で囲まれていました。各々異なる事情でしょうが、夫婦仲や家族仲を気遣う参加者がなんと多かったことでしょう。
そろそろ陽が山あいに隠れる時分になって宿に向かうことになりました。私たちは天岩戸に隠れられた天照大神を見つけ出した手力雄の像が待つ、癒しの宿に暗くなる前に着きました。満面の笑みのスタッフが勢ぞろいで出迎えてくれました。
24時間かけ流しのラジウム温泉の内風呂に入ってライトアップされた庭園を眺め、宮崎特産の伊勢海老や高千穂牛に舌鼓を打ち、高千穂の地酒でほろ酔い気分になったところで、本日最後の観光の高千穂夜神楽を観賞する時間になりました。天照大御神を誘い出した鈿女(うずめ)の像が待っている高千穂神社境内の神楽堂に再び参集しました。
120人定員の神楽堂には立錐の余地がない程の人が、座布団を曳いて思い思いに床に座っていました。コロナなど意に介さない密集度合で熱気が漂い、備え付けの数台の扇風機は勢い良く回っていました。昔は秋の収穫が終わると、三日三晩踊り明かしたそうですが、今回は観賞用なので、33番の舞の中でも有名な(1)手力雄(たぢからお)の舞(2)鈿女(うずめ)の舞(3)戸取(ととり)の舞(4)御神体(ごしんたい)の舞が順に披露されました。
神々をお招きして収穫への感謝と五穀豊穣を願う神事なのですが、神様たちと人々とが心を通わせることを目的としている神楽に魅せられました。最後のご神体の舞は、イザナギ・イザナミの二神が酒を作ってお互いに仲良く飲んで抱擁し合う夫婦円満を象徴しており、日本の神々は人々の生活に溶け込んでおられ、人そのものかもしれないと感じました。1時間ほど観賞して神楽堂を出ると、辺りは真っ暗で気温も12,3度になっていて体がしっかり冷える寒さでした。ちなみに数日後は5度まで下がったようです。宿のラジウム温泉に入り直して、ぐっすり安眠しました。
ごったましいガイドとゆく高千穂旅行記~2日目~
翌日は朝冷えがする中、少し早起きをして坂の多い高千穂の町を30分ほど散策しました。人口1万1千人の町にコロナ前は年間100万人を超える観光客が押し寄せていたそうです。お陰で税収が潤っていたのか、道路や道路わきの石垣も整備が行き届いた清楚な街並みで、街道わきには神楽で踊る主役たちの人形や銅像が各所に立っており、町の活気に一役買っていました。
また興梠(こおろぎ)姓の商店が目立ち、この姓は唯一高千穂からの由来だそうです。他に宮崎で多いのは甲斐(かい)姓で、そのため小学校では下の名前で呼び合うのだと、たまたまここの出身だったガイドさんが教えてくれました。
本日最初の観光の国見ケ丘展望台に行くために朝9時にバスに乗り込みました。ガイドさんは、「宿のお見送りの人数に、こんな大人数は初めて!」と驚き、女将さんや従業員の方たちの絶妙な脇と肘の曲げ具合での由緒正しい手振りの様を見るなり、皆さんも皇族になられた気持ちでお返ししてください、と朝から絶好調の彼女に指導され、手を優雅に振り返しながら癒しの宿を後にしました。
10数分後に到着した国見ヶ丘は、のちに阿蘇大明神と呼ばれる神武天皇の孫の健磐龍命(タケイワタツノミコト)が 九州統治の際に立ち寄って国見をされたという伝説の丘です。標高513mの展望台から高千穂盆地が一望できて雲海の名所として有名なのですが、最近では天気が良くても滅多なことでは拝めないようです。
私たちは農作物が朝霜でやられないように農家の人が煙を出して守っている雲海もどきの風景を見ることになりました。蕎麦焼酎で有名な雲海もこの絶景スポットから取った銘柄だそうです。雲り気味の天気だったので阿蘇の涅槃像は観られませんでしたが、天孫降臨されたニニギノミコトが千の稲穂をもってこの高地に降りて地上を視察された皇族気分を味わうことが出来ました。
あとは午前中に、この旅行のメインである天岩戸神社と天安河原見学を残すだけになりました。パワースポットをこれから訪ねるにあたって、ガイドさんによる健康チェックと対処法の講義が始まりました。まずは両手をパチンと叩いて、手のひらの状態を診ます。全体が白いのは大変良くないので、これから彼女の話にしっかり拍手で答えれば良いそうです。指先だけが赤い人は、これは心配なく、ただ興奮しているだけで、色がどす黒い人はこれも心配はなく、しっかり手を洗って下さいとのことでした。
また昨日訪れた高千穂神社の「鎮石」に手をかざして霊感を感じた人は、これから行くパワースポットでも感じやすく、そういう人は親指の腹側のIP関節で端が閉じた輪になった目のような形の仏眼(仏心紋)の持ち主らしいです。有無を挙手で調べると、私たちには仏眼の持ち主が多く、特に霊感が強い両母指の持ち主が数人おられました。
素晴らしい能力者と称賛される傍らで、そうでない人が寂しそうになっているのを見兼ねて、仏眼でない人も心配はいりません、ボールペンでちょちょっと付け加えて輪を完成させれば大丈夫とのアドバイスがありました。信じるも信じないも貴方次第の話でしたが、笑いが絶えないままバスは天岩戸神社の西本宮に到着しました。
天照大御神がお隠れになった天岩戸をご神体として祭っている神社なので、社殿には本殿はなく拝殿のみです。天岩戸は高さ8m、幅9m、緑深き対岸の崖壁に鎮座して、左右に20mの七五三のしめ縄が張ってありました。遙拝所での写真は禁止されているので目に焼き付けるしかありません。
岩戸川を挟んでの対岸にむかっての礼拝ですが、とても大きなご神体ということがわかります。境内にも立派なご神木がそびえて立っていて、実が鈴の形になる「おがたまの木」で、若き神職から神楽で鈿女が舞うときに使われるとの説明があり、昨夜の夜神楽で聞いた鈴の音が甦りました。
西本宮を裏門から抜け、足元が険しい遊歩道を川岸へ下りながら、対向する人とすれ違いざまに川に落ちないように注意して10分ほど歩くと、太鼓橋に差し掛かりました。この付近からパワーを感じる人は無言で神妙になっていくそうです。
橋を渡って最初の左カーブを曲がると、有名な天安河原(あまのやすがわら)と仰慕ヶ窟(きょうぼがいわや)が見えてきました。八百万の神々が天照大神のお隠れになったあとの暗黒の世界をどうしようかと集まられた場所です。光と影が絶妙に混じりあって岩戸川の流れと共に神聖な時間が流れているようでした。
数多くの人々の願いが込められた石積みが並んでいましたが、先月のマンナドルによって全て吹き飛ばされたそうです。しかし、解禁後のたった3週間足らずで、この数えきれない状態にまで復活したということで、多くの人々が一心に行う業もとても神秘的なものに思えてきました。
元来た道を戻って、岩戸を放り投げようとしている手力男の戸取像の傍に集まった我々は、ぶつけられないようにそっとバスに乗り込みました。この2日間を興味深く観光させて戴いた高千穂に感謝しながら、延岡にある国技館という昼食会場を目指しました。小腹がすき始めたせいか、バスは心なしかスピードを上げ気味になったところで、ガイドさんクイズ、「手力男が振り上げた岩戸は遠くに投げられましたが、どこまで届いたでしょうか」。
これにはすぐに複数の人から正解が出て、長野県の戸隠山まで飛んだとのことです。彼女から「凄いですね!」。昼食前で力が入り難い我々に同意させたいのでしょう、「凄いと思いませんか!」が連発されました。なんとも神話の世界観を感じました。
人口12万人の県内3番目に大きい水郷の町で知られる延岡は、サランラップやポケット調味料のマジックカットで大きくなった旭化成が起業した町です。毎年、全国800人の新入社員が延岡で初期研修を行っているとのことです。整形外科的にはPTH製剤などの薬が馴染みなのですが、その話は出ず、西日本で有名なドラッグストアのコスモスも延岡からの起業したことが紹介されました。
地元のあゆの塩焼きと伊勢海老のお造りとみそ汁が出て、お酒を誘う昼食を堪能したあと、バスは一路シーガイアに向けて走り出しました。まもなくガイドさんからは荷物にならないお土産が披露されました。ほろ酔い気分のなか、プロらしい心地よい唄声が響きます。本来は神楽と同様に33番まであるので、もっと続けて欲しかったのですが、これ以上は唄わない、書かない方が適切なようです。
≪高千穂神楽せり唄≫
♪~こよさ夜神楽にゃ せろとて来たが サイナー せらにゃそこのけ わしがせる ノンノコサイサイ ハ ヨイヨイサッサ ヨイサッサ ヨイヨイサッサ ヨイサッサ~♪
♪~こよさ夜神楽は十二の干支で サイナー 飾りたてたる かみ神楽 ノンノコサイサイ ハ ヨイヨイサッサ ヨイサッサ ヨイヨイサッサ ヨイサッサ~♪
長々と拙文にお付き合い戴いて有難うございました。
新イカ
新イカをご存じでしょうか。日本でとれるイカの種類は80種類ほどあり、イカは日本国中どこでもいつでも取れて、その中の20種類が食されているそうです。それぞれに旬があり、有名な呼子の剣先イカは漁火漁が似合う盛夏の頃で、夏イカとも呼ばれています。今回は剣先イカの話ではなく、唐津で100年以上続く老舗の鮨屋の大将から聞いた甲イカ(墨イカ)の話です。
春に誕生した甲イカの赤ちゃんが食されるほどに大きくなるのは7月下旬以降で、その頃になると鮨一貫のネタの大きさになるぐらいに成長します。その後はみるみる大きくなるので、これぐらいの大きさが新イカとしての食べ頃のようです。脚などと共に身を軽く茹でて、酢味噌で和えて出された一品が、今宵の主役です。
女将から置かれた小鉢に箸を伸ばして口の中にもっていくと、ねっとりとしながらも歯ごたえのある食感と共に、イカの旨味と甘みが徐々に口の中に広がっていきます。人の好さそうで、多弁がちな恰幅の良い初老の大将から、これは唐津の晩夏から秋の風物詩になっていて、県外からこれを目当てに来る客も少なくないとの説明が、新たな調味料になります。相槌を打ちながら引き続きの料理の美味しさを味わうことが、こんなに楽しいものかと思いながら、コロナ以後では滅多にない時間を過ごしました。
では、緊急事態宣言も明けた今宵、秋の夜長に皆様も一口いかがでしょうか。お酒好きの方には一献どうぞ。
第1回 ロコモコーディネーター全国大会が行われました。
2014年に浜松で第1回ロコモコーディネーター(LC)資格研修会が開催されて以来15回の研修会が開催されました。2019年7月までに1913名のLCが誕生し、全国各地でロコモ予防の活動に活躍されています。
今後のLCとロコモ予防活動が一層盛んになるように活動内容の発表を通じての意見交換や、LC活動の未来をテーマとしたパネルディスカッションが令和2年2月2日に行われました。
第1回 ロコモコーディネーター全国大会
日時:2020年2月2日(日)11:00~15:00
会場:品川プリンスホテル メインタワー15階「トパーズ」
東京都港区高輪4-10-30 TEL:03-3440-1111
会費:無料
予定参加者数:150名
11:00~12:00
・開会の辞 SLOC副理事長 林 承弘
・ご挨拶 日本臨床整形外科学会(JCOA)理事長 新井 貞男先生
・SLOCからの報告
1)SLOC・ロコモコーディネーターの仕事と今後の活動指針
SLOC理事長 藤野 圭司
2)ロコモコーディネーター養成事業と活動報告
SLOC総務委員会アドバイザー 大町 かおり
12:00~13:00 昼休み
13:00~13:30 第1回ストップ・ザ・ロコモ!アワード表彰式
*金賞
細江 浩典、宮嵜 友知 (名古屋市 / 第二赤十字病院 木村病院)
名古屋市東部八事地区におけるロコモ予防の取り組み
ー「いつでも・どこでも・だれでもロコモ予防外来」の実践 ー
*銀賞
松崎 久美子(船橋市 / 船橋整形外科西船クリニック)
西船クリニックのロコモティブシンドロームへの取り組み
13:30~15:00 パネルディスカッション
「ロコモコーディネーター活動の未来」
座長:SLOC副理事長 原田 昭
SLOC副理事長 長谷川 利雄
演者:1)宮崎大学での活動
宮崎大学医学部 感覚運動医学講座 整形外科学分野
教授 帖佐 悦男 先生
2)診療所での活動
SLOC理事 宮田 重樹
3)JCOA活動との連携
JCOA理事長・SLOC理事 新井 貞男
4)ロコモコーディネーターとして
ロコモコーディネーター 渥美 教介
5)地域での活動
SLOC理事 藤田 芳憲
発表内容)
5)地域での活動 SLOC理事 藤田 芳憲
福岡でのロコモ啓発運動の現状を市との共同活動を通して紹介した。
2017年ロコモコーディネーター(LC)資格取得研修会が福岡で開かれ、184名の有資格者(うち福岡県145名)が誕生した。半年後に福岡市がロコモに関するアンケートを行い、85名から得られた現在の活動内容に関しては、所属機関での活動が5割以上、地域サロン活動が13%、市民公開講座が6%だったが、特に何もしてないLCは4割程で、活動方法を模索しているのが伺えた。研修会の参加や市のロコモ啓発イベントへの協力も多くが賛成したが、12%の協力できない主な理由は遠方だから、ということだった。
アンケート結果を基に半年後にロコトレ・ロコチェックの実際とリスク管理の研修会と意見交換会が行われた。研修会
や意見交換会の評価は良好で、皆の活動状況がわかって良かったとの感想が聞かれ、市が始めるロコモ啓発イベントへの参加協力も9割以上の人が賛成だった。後押しされ、3か月後に市の市民参加型ロコモ啓発イベントが始まり、令和1年度は10月11日(木)エルガーラ広場で参加者429名(LC2名)、2月5日(火)イオンモール香椎浜で参加者457名
(LC2名)、3月16日(土) 福岡国際会議場でのアラカンフェスタで参加者5000名(LC5名)の3回が開催され、令和2年度も計3回のロコモ啓発事業が続けられている。
今後、所属機関でのLC活動だけでなく、今後地域でのLCによるロコモ予防活動が盛んになる状況が期待され、その
ために福岡市に以下の3つの要望を行っている。1つは現在のロコモの認知度向上の活動を持続していただくこと、2つは、LCが行うロコトレは3大介護要因(骨関節疾患、認知症、脳血管障害)に貢献できるというご理解、3つはLCが仕事に従事している地域での、区や包括支援センター単位でロコモ啓発予防活動を活発化して戴きたい。
南区骨粗鬆症リエゾンサービス研究会の第5回講演会が開催されました。
11月20日in福岡赤十字病院
多職種(医師、歯科医師、薬剤師、看護師他)80名が参加しました。
当会の目的:南区の骨粗鬆症による寝たきりを多職種で防止する会
講演1. 骨粗鬆症の予防と治療 ━食事の役割━
福山 恵 先生/福岡赤十字病院/栄養課
骨粗鬆症の食事では、エネルギー、及び各栄養素をバランスよく取る必要がある。
日本人は、Ca不足が多く、吸収を促進してくれるビタミンDと共に摂取すべきである。
骨密度は幼児期からの食習慣や運動習慣が大きく関与している。
講演2. 超高齢社会における高齢者医療のパラダイムシフト ━骨折予防の重要性━
池田 聡 先生/健愛記念病院/整形外科
内容)2025年における高齢者は多くの疾患を抱えており、全てを治す治療より、優先すべき疾患から治療するのが原則である。避けるべき寝たきり予防のためには、脳卒中、認知症、転倒による骨折が多い。健康寿命延伸のためには骨粗鬆症対策が重要であるが、日本では、骨粗鬆症の薬剤治療率が今なお低く、骨折治療後の継続率も5年以内に半分以上が脱落して、再骨折をきたしているので、多職種で治療の継続を図る必要がある。予防に運動も重要で、一回30の分荷重運動、抵抗運動を週3,4回必要である。一日に9時間以上座っている女性は、6時間以内の女性より50%骨折率が増えると言われる。
呉と西条
令和1年10月13日、呉と西条の日帰り旅行に参加しました。前日に史上最大の台風19号が東日本を直撃して開催が危ぶまれましたが、一夜明けると台風一過の晴天に恵まれました。この日は日本の三大酒処の西条酒まつりが開催されていたので一緒に書き記してみました。
やや肌寒い博多を朝6時36分に出発したのぞみ4号(東京行き)は前日の台風後の影響を考慮した減速運転を行い予定よりも遅く7時48分広島に到着しました。8時20分の集合に時間があったので、10日前にグランドオープンした広島駅2階EKIEの喫茶で香ばしいコーヒーを味わって今日の旅行に期待しながら出発時間を待ちました。
時間通り8時30分に広島駅を出発し、呉を目指してバスは快調に走り出しました。小一時間で「この世界の片隅に」で最近活気づいた町に着きました。主人公の「すず」が、段々畑の高台から見下ろしていた当時東洋一の軍港は、今は民営の大型船造船所としても活躍しています。最大で44万人の人口を擁した町は現在20万人余りになっていますが、落ち着いたノスタルジックな美しい港町の佇まいを呈しています。
波止場から70人前後が遊覧船に乗り込むと港の説明が始まりました。岸壁には、ほぼ完成の大型タンカーや海上自衛隊の各種艦船が多数停泊していました。海自OBの男性が背筋伸ばして行う説明には、対空ミサイル、62口径76㎜速射砲、哨戒ヘリ、対艦ミサイルを搭載しているそうりゅう型潜水艦などの兵器用語が並び、潜水艦や護衛艦の甲板には海上自衛隊艦船16条旗(旭日旗)が強くたなびいています。日本の守りは任せたぞとの願いを込めて下船したのは私だけではなかったはず、時間があれば、「てつ」のくじら館や大和ミュージアムに入館して最敬礼したことでしょう。
帽子が飛びそうになる海風、きつい日差しと揺れるクルージングで小腹を空かしながら波止場を後にして市内を10分あまり走りました。昼食場の呉森沢ホテルに着くとメインの美酒鍋と多くの料理が用意されていました。艦隊巡回で仲間意識が芽生えた、北海道、岡山、愛媛、高知、福岡、広島から集まった方々との会食が早速始まりました。話題は台風、今回の旅行、突如の僻地診療斡旋電話等が主でしたが、時間を忘れて盛り上がりました。
酒をふんだんに使ったはずの美酒鍋の余韻に浸かりながら、更に酒を欲する我々を乗せて酒処西条に向けてバスは出発しました。道中、江田島の海軍兵学校の歴史と現在、瀬戸内海で4番目に大きな島で1万人が住んでいて、牡蠣の養殖が盛ん等のガイド話に耳を傾け、広島災害を大きくした花崗岩の脆さ、マサ土の傷跡が残る山陽道を左側にみながら進んで、あっという間に西条駅北口に着きました。
下車して酒まつり会場の南口に移動しましたが、着いてびっくりの人の波、メインの東西に延びる旧山陽道沿い800mの酒蔵通りは芋の子を洗うような、ぶつかり合っても中々進まない状況でした。全国から集まった我々酒豪たちは圧倒されて、少し雰囲気に浸かっただけで集合場所に戻りたくなるも、それさえも大変でした。「あな恐ろしや、西条酒まつり」。2日間で20万人が集まる祭りの2日目で、西条駅の厠では男女とも長蛇の列ができて女性用は30分待ちでした。それでもそれなりに楽しんだ一行は、上品な口当たりの白牡丹や超辛口の亀齢が好みだったとか、1年に一度のプレミアム酒をゲットしたなどと、銘々に報告しながらバスに乗り込みました。帰路は広島県医師会館までの1時間でしたが、車内は時折寝息が聞こえる静けさで、旅の満足感と心地よい疲れが見てとれました。企画された方々にお礼申し上げます。
最後に、賀茂鶴酒造に掲げられた井上靖の文章が気に入ったので紹介します。山岡荘八(サカナは何でなければ・・・というのは真の酒徒ではない。ひとつまみの塩でよし、・・・)に言わせると私も井上も野暮な酒徒でしょうが、今回のさかなは「呉」、最上でした。
私のさかな 井上 靖
私は酒を飲みだすと、出てくる料理を片っぱしから平らげる。酒を飲み出すとなんでも美味しく食べられるが、美味しいものが沢山出たほうがいい。その点甚だ野暮ったい酒飲みである。だから肴のない酒もりなど、私には意味がないし、味気ない。
大体料理を食べ終わって、もう料理はたくさんという頃になると、日本酒を洋酒にきり替える。ブランディーでもウイスキーでも、料理など見向きもしなくなってから、うまく飲めるし、気持ちよく酔える。よくしたもので、オードブルは、日本酒は日本風の、洋酒は洋風のものがいい。洋酒は生で飲む。水やソーダで割ったのは飛行機の中だけ。
南区骨粗鬆症リエゾンサービス研究会の第4回講演会が開催されました。
6月21日in九州中央病院
当会の目的:福岡市南区及び近郊の骨粗鬆症による寝たきりを多職種で防止する会
講演1.内服時の留意点 九州中央病院リハビリテーション科 金城亜紀医長
内容)ビスホスホネート製剤等による顎骨壊死の防止には医科歯科連携が重要である。
講演2.骨卒中予防 鳥取大学医学部保健学科の萩野浩教授
内容)高齢者骨粗鬆症の脆弱骨折(いつのまにか骨折)は、若年者が経験するいわゆる「骨折」とは全く異なり、ADL・QOLを引き下げている。骨折後の死亡リスクは、大腿骨頸部骨折では6.7倍、脊椎骨折では8.6倍となり、生命予後を脅かしている。その観点からは脳卒中と同様に「骨卒中」として、その危険性を世に啓発する必要が大である。
推奨する治療薬は、ガイドラインから
①ビスホスホネート
②SERM
③抗RANKL交代
④テリパラチド
⑤活性ビタミンD
の5剤からの選択であるが、顎骨壊死については、薬剤を必ずしも休止する必要はなく、重要なのは歯の衛生状態を徹底することである。
南区骨粗鬆症リエゾンサービス(OLS)研究会とは
代表世話人 藤田整形外科医院 藤田芳憲
2025年の福岡市の75歳以上の後期高齢者は2010年の1.9倍になり、その後も増加していて行くなかで、特に南区は高齢化傾向が顕著です。その対策として地域医療構想や地域包括ケアシステム構築が進んでいますが、在宅医療の充実はそれらの成功の極めて重要な鍵を握っています。医療機関に来院できなくなって寝たきりになる主な原因の一つは高齢者の骨折ですが、その増加の背景には骨粗鬆症が存在します。地域における骨粗鬆症診療の充実は、そのまま在宅患者の絶対数を減らすことに繋がります。
南区医師会では、骨粗鬆症による骨折の2次予防や在宅医療を支援する目的から、地域の骨粗鬆症診療における病診連携、診診連携、多職種連携の充実をはかるために、平成29年に以下の世話人の先生方と共に当研究会を立ち上げました。
平成29年3月6日に第1回世話人会が発足し、当時南区医師会会長の藤田芳憲(現代表世話人)、九州中央病院から有薗剛副院長兼整形外科部長、福岡赤十字病院から泊真二副院長兼整形外科部長、福岡臨床整形外科医会から久賀養一郎副会長、南区内科医会から原博文副会長の世話人構成で始めましたが、第2回からは南区医師会病院部会から福岡整形外科病院の松田秀策医長も加わり、平成30年度からは松岡正樹現南区医師会会長が顧問に就任し7人で運営しています。
平成29年11月22日のキックオフ講演会から平成31年6月の第4回講演会まで、1回当り100人前後の多職種の参加者が集まり、徐々に南区及び周辺地域の骨粗鬆症診療のボトムアップが進んでいます。