令和1年10月13日、呉と西条の日帰り旅行に参加しました。前日に史上最大の台風19号が東日本を直撃して開催が危ぶまれましたが、一夜明けると台風一過の晴天に恵まれました。この日は日本の三大酒処の西条酒まつりが開催されていたので一緒に書き記してみました。
やや肌寒い博多を朝6時36分に出発したのぞみ4号(東京行き)は前日の台風後の影響を考慮した減速運転を行い予定よりも遅く7時48分広島に到着しました。8時20分の集合に時間があったので、10日前にグランドオープンした広島駅2階EKIEの喫茶で香ばしいコーヒーを味わって今日の旅行に期待しながら出発時間を待ちました。
時間通り8時30分に広島駅を出発し、呉を目指してバスは快調に走り出しました。小一時間で「この世界の片隅に」で最近活気づいた町に着きました。主人公の「すず」が、段々畑の高台から見下ろしていた当時東洋一の軍港は、今は民営の大型船造船所としても活躍しています。最大で44万人の人口を擁した町は現在20万人余りになっていますが、落ち着いたノスタルジックな美しい港町の佇まいを呈しています。
波止場から70人前後が遊覧船に乗り込むと港の説明が始まりました。岸壁には、ほぼ完成の大型タンカーや海上自衛隊の各種艦船が多数停泊していました。海自OBの男性が背筋伸ばして行う説明には、対空ミサイル、62口径76㎜速射砲、哨戒ヘリ、対艦ミサイルを搭載しているそうりゅう型潜水艦などの兵器用語が並び、潜水艦や護衛艦の甲板には海上自衛隊艦船16条旗(旭日旗)が強くたなびいています。日本の守りは任せたぞとの願いを込めて下船したのは私だけではなかったはず、時間があれば、「てつ」のくじら館や大和ミュージアムに入館して最敬礼したことでしょう。
帽子が飛びそうになる海風、きつい日差しと揺れるクルージングで小腹を空かしながら波止場を後にして市内を10分あまり走りました。昼食場の呉森沢ホテルに着くとメインの美酒鍋と多くの料理が用意されていました。艦隊巡回で仲間意識が芽生えた、北海道、岡山、愛媛、高知、福岡、広島から集まった方々との会食が早速始まりました。話題は台風、今回の旅行、突如の僻地診療斡旋電話等が主でしたが、時間を忘れて盛り上がりました。
酒をふんだんに使ったはずの美酒鍋の余韻に浸かりながら、更に酒を欲する我々を乗せて酒処西条に向けてバスは出発しました。道中、江田島の海軍兵学校の歴史と現在、瀬戸内海で4番目に大きな島で1万人が住んでいて、牡蠣の養殖が盛ん等のガイド話に耳を傾け、広島災害を大きくした花崗岩の脆さ、マサ土の傷跡が残る山陽道を左側にみながら進んで、あっという間に西条駅北口に着きました。
下車して酒まつり会場の南口に移動しましたが、着いてびっくりの人の波、メインの東西に延びる旧山陽道沿い800mの酒蔵通りは芋の子を洗うような、ぶつかり合っても中々進まない状況でした。全国から集まった我々酒豪たちは圧倒されて、少し雰囲気に浸かっただけで集合場所に戻りたくなるも、それさえも大変でした。「あな恐ろしや、西条酒まつり」。2日間で20万人が集まる祭りの2日目で、西条駅の厠では男女とも長蛇の列ができて女性用は30分待ちでした。それでもそれなりに楽しんだ一行は、上品な口当たりの白牡丹や超辛口の亀齢が好みだったとか、1年に一度のプレミアム酒をゲットしたなどと、銘々に報告しながらバスに乗り込みました。帰路は広島県医師会館までの1時間でしたが、車内は時折寝息が聞こえる静けさで、旅の満足感と心地よい疲れが見てとれました。企画された方々にお礼申し上げます。
最後に、賀茂鶴酒造に掲げられた井上靖の文章が気に入ったので紹介します。山岡荘八(サカナは何でなければ・・・というのは真の酒徒ではない。ひとつまみの塩でよし、・・・)に言わせると私も井上も野暮な酒徒でしょうが、今回のさかなは「呉」、最上でした。
私のさかな 井上 靖
私は酒を飲みだすと、出てくる料理を片っぱしから平らげる。酒を飲み出すとなんでも美味しく食べられるが、美味しいものが沢山出たほうがいい。その点甚だ野暮ったい酒飲みである。だから肴のない酒もりなど、私には意味がないし、味気ない。
大体料理を食べ終わって、もう料理はたくさんという頃になると、日本酒を洋酒にきり替える。ブランディーでもウイスキーでも、料理など見向きもしなくなってから、うまく飲めるし、気持ちよく酔える。よくしたもので、オードブルは、日本酒は日本風の、洋酒は洋風のものがいい。洋酒は生で飲む。水やソーダで割ったのは飛行機の中だけ。