ブログ

2022.12.09

ごったましいガイドとゆく高千穂旅行記~1日目~

令和4年10月8日正午定刻通りに南国情緒漂う宮崎空港ロビーに全国各地から集合した整形外科医とその家族は、遅れ気味の到着であらい息と汗を拭きながら駆け付けられた関東組を出迎えて、あと5人が待つ宮崎駅に向けてバスは急ぎ走り出しました。数十分後、工事中かと見違えそうな宮崎名所の「鬼の洗濯岩」をモチーフにした全面格子柵で囲まれた宮崎駅に着くと、最初の厠休憩になりました。

駅の中央はアミュプラザの売り場が大きく占めており、宮崎県における県境の高千穂の位置よろしく、厠は売り場を通り過ぎた端にあるので、着くのに結構な時間がかかりました。それ程大きくない女性用厠はすぐに行列状態になって予定以上の時間がとられました。慌ててしまったのか、自己紹介なしにガイドさんの「宮崎は10月に入って初めて昨日から気温が30度を切って涼しくなりました」と内容とは異なって、少々汗をかきながらの挨拶が始まりました。

宮崎駅

この一泊2日の高千穂ツアーには、総勢34人が高千穂神話に惹かれて参加されたのでしょうが、何といっても旅行に欠かせないのは良い天気とバスガイドさんですね。心配していた天気は雲の間から日が差すようになって回復し、バスは曲がりが多い宮崎市街を通り抜け、直線道路に入って揺れがなくなると共に、ガイドさんの自己紹介が始まりました。

宮崎観光の花形であろう、年齢不詳、キュートな声で面白いことを語るのが売りの、我々の前ではマスクを一度も外さなかった美人に違いないガイドさんです。このガイドさんの面白話をなるべく掲載して、バスツアーの思い出を綴っていきたいと思います。

ガイドさんの名は兼行〇央さんで、さっそく姓が「ごったまし」くて、すみませんと耳慣れない挨拶。何を言ったのかなと思い、後で確認すると、宮崎弁で仰仰しい、たくましいということでした。さらに宮崎弁の代表格は、「とても」を「てげ」だと紹介され、「とても美味しい」ことを「てげうめっちゃが~」と言うのだそうです。さらに宮崎弁を全国的に有名にしたのは、2010年の口蹄疫や鳥インフルエンザで宮崎の畜産業が壊滅的な被害を受けたときに、県知事だった東国原氏が発した「宮崎をどげんかせんといかん」というフレーズです。

これは彼の出身の都城訛りが入っており、生粋の宮崎弁では「宮崎をどんげかせんといかん」と言うらしく、当時は結構な物議を生じたそうです。他県の私達にはどっちでも良いような話でしたが、なんと反応して良いのか分らず、「う~ん」と唸り声をあげながら聞いていました。今年の年末予定の宮崎知事選挙で現職の4選を阻むために再出馬するらしく、再度このフレーズを使うことが予想されます。今度は14年ぶりに多くの宮崎県民が「東国原氏をどんげかしようか」と、てげ悩まれることでしょうね。

神武天皇が日向から東征に出発されたという美々津港の近くには、天皇がこの上に立って出航の指揮をとられた腰掛岩があります。出発前に天皇の着衣のほころびに気付かれたけれども、天候の具合で出航時間が早まり、時間が無いなか立ったままで縫われたので、この地を立ち縫いの里と呼ぶようになったそうです。

同じく用意されていた団子の材料の餅とあんこを丸めて団子にする時間がなくて、あんこと米粉をつき混ぜて作って献上されたので、つき入れ団子とかお船出団子と後世に呼ばれるようになりました。今も美々津の美味しいお土産として有名ですと宣伝が入りました。

日向灘を右手に見ながら東九州道を北上していたバスは、古墳が311基もある西都や、最初に口蹄疫が見つかった都野を経て、延岡ジャンクションを通過すると方向を転換して九州中央道に入りました。あたりは棚田が広がる山間の田園風景に変わり、高千穂の釜炒り茶として有名な茶畑も見られる郷愁を覚える日本の代表的原風景になりました。

そこでガイドさんクイズ、「宮崎は早場米、3月に田植えをして7,8月に収穫するのは何故でしょうか」。答えがバスの中で飛び交いましたが、見事正解。「台風が来る前に収穫するため」でしたが、それだけ宮崎は台風銀座ということです。先月9月19日の台風14号(NANMADOLナンマドル)は宮崎を直撃した中でも史上最強クラスの台風で、高千穂も甚大な被害を被っており、行く先々で台風の傷跡が色濃く残っていました。

バスは山間のカーブが険しい道をリズミカルに車体を揺らしながら高千穂三橋を渡っていきます。一つの峡谷に3本の橋が見られるのは全国唯一という、アーチ状の白くて凛々しい橋を上から下から眺め、高千穂峡最初の観光地アララギの里に到着しました。バスを降りて10数分間、旗を高く掲げたガイドさんに引率されて、34人がぞろぞろと歩いていくとV字峡谷が目の前に広がってきました。

太古の時代に阿蘇からの火砕流が冷え固まってできた柱状節理の地形に五ヶ瀬川が侵食してできた見事な峡谷です。先月のナンマドルが荒らしていった遊歩道は一部を除き進入禁止になっており、下までは降れない状況だったので、喜八の力石や眞名井の滝に近づくことは叶いませんでした。その分、距離を保っているせいか大自然の神秘さと清澄な景色を感じました。天孫降臨の際、この地に水がなかったので、天村雲令(アメノムラクモノミコト)が水種を移した「眞名井」から湧き出る水が水源となりました。それが17mの高さから川の水面に落ちる様を、遊歩道滝見台から見る「眞名井の滝」は特別に神秘的な空気を漂わせていました。

柱状節理の峡谷を満喫した私たちは、高千穂郷八十八社の総社である、1900年前に垂仁天皇によって創られた高千穂神社を訪れました。境内には樹齢800年を超える御神木である秩父杉や二つの杉の根元が一つになった夫婦杉を代表とする多くの巨木が本殿を守っていますが、一部は台風によって倒されていました。ガイドさんから夫婦杉の周りを夫婦、恋人、友達と手をつないで3回廻ると夫婦円満、家内安全、子孫繁栄、縁結びのご利益があるとの紹介がありました。

神社を参拝し、本殿の裏にある、世の乱れや人の悩みを沈めるために伊勢神宮と共に設置された鎮石(しずめいし)に手をかざしながら願をかけた後、彼女から勧められた夫婦杉に戻りました。もうすでに何組ものカップルが、すぐ前には3人のご家族が仲良く廻っておられました。私たちも先輩たちに続けと廻り始めましたが、木の根が大きく張り出して足元が悪いところもあり、転倒しては一大事としっかり手を握り合って3回廻り切りました。後続のカップルも後が絶えなく、いつの間にか夫婦杉は我々で囲まれていました。各々異なる事情でしょうが、夫婦仲や家族仲を気遣う参加者がなんと多かったことでしょう。

そろそろ陽が山あいに隠れる時分になって宿に向かうことになりました。私たちは天岩戸に隠れられた天照大神を見つけ出した手力雄の像が待つ、癒しの宿に暗くなる前に着きました。満面の笑みのスタッフが勢ぞろいで出迎えてくれました。

24時間かけ流しのラジウム温泉の内風呂に入ってライトアップされた庭園を眺め、宮崎特産の伊勢海老や高千穂牛に舌鼓を打ち、高千穂の地酒でほろ酔い気分になったところで、本日最後の観光の高千穂夜神楽を観賞する時間になりました。天照大御神を誘い出した鈿女(うずめ)の像が待っている高千穂神社境内の神楽堂に再び参集しました。

120人定員の神楽堂には立錐の余地がない程の人が、座布団を曳いて思い思いに床に座っていました。コロナなど意に介さない密集度合で熱気が漂い、備え付けの数台の扇風機は勢い良く回っていました。昔は秋の収穫が終わると、三日三晩踊り明かしたそうですが、今回は観賞用なので、33番の舞の中でも有名な(1)手力雄(たぢからお)の舞(2)鈿女(うずめ)の舞(3)戸取(ととり)の舞(4)御神体(ごしんたい)の舞が順に披露されました。

神々をお招きして収穫への感謝と五穀豊穣を願う神事なのですが、神様たちと人々とが心を通わせることを目的としている神楽に魅せられました。最後のご神体の舞は、イザナギ・イザナミの二神が酒を作ってお互いに仲良く飲んで抱擁し合う夫婦円満を象徴しており、日本の神々は人々の生活に溶け込んでおられ、人そのものかもしれないと感じました。1時間ほど観賞して神楽堂を出ると、辺りは真っ暗で気温も12,3度になっていて体がしっかり冷える寒さでした。ちなみに数日後は5度まで下がったようです。宿のラジウム温泉に入り直して、ぐっすり安眠しました。